江戸時代の甲府
2008.06.02 19:09 投稿者:パンダ 1号

江戸時代の甲府の街を勉強する会があり参加してみました。江戸時代といっても文化文政の頃で今から二百年前、慶応の頃で今から百五十年前ということになり、その頃の甲府の様子を資料をもとに教えていただきました。
当時の「甲州道中」(後に甲州街道と呼ばれる)は、江戸から下諏訪までの208kmを宿駅45で繋いでおりました。平均すると4~5キロに1ケ所ということになります。
最初の宿駅はご存知のとおり「内藤新宿」、甲府盆地に入ると「勝沼」「栗合」「石和」「甲府」「韮崎」「台が原」「教来石」となります。
この中で「甲府」は、今の市域の全域を指すのではなく、中心部東側にある「柳町」のことなのだそうです。
甲府城は城の中心をなす一の堀の内側、一の堀と二の堀(現在の桜町どおり)の間に存在する武家屋敷、二の堀の外側にある商工業に従事する町民の居住地から成り立ち、この柳町は一般町民の街でありました。
柳町の戸数は209戸、人口は905人、本陣・脇本陣という高級な宿舎から旅籠(はたご)まで20件ほどの宿泊施設があったとのことです。
ちょっと驚いたのは町の呼び名です。柳町の名称自体が今でも同地で通称として使用されていますが、一丁目・二丁目・三丁目といった呼び名も、江戸の時代から存在していたとは知りませんでした。
甲州道中は柳町で鍵の手に曲がっていました。「金手」の鍵の手道を市街に入ると、印伝屋の上原商店前に公共掲示板である「高札」場があり、NTT甲府支店西の交差点を左へ南下したようです。
同交差点の角から現在の柳正堂書店にかけてが本陣で、その隣の金物屋あたりが脇本陣とのことです。この二件は現在ありませんが、印伝屋の上原さんの店は当時から続いており歴史を感じました。
7/6には、城下町の庶民の生活の講義があります。「甲府城下町を語る会」の主催で、総合市民会館の2階研修室で行われ、一般聴講も可能だと思いますが資料代として数百円が必要です。


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