舂米(つきよね)学校
2008.10.20 21:40 投稿者:パンダ 1号

山梨にはいいものが残っていますね。
今回紹介するのは、明治9年に建てられた学校です。130年くらい前ということになります。
場所は増穂町の増穂小学校の敷地内です。
明治時代には、中央政府より県令(けんれい)という地方長官が任命されて、地方を統治していました。
県令は今でいう知事です。
官選の知事さんである藤村県令という方は、山梨の産業振興と教育に力を入れ、そのシンボルとして和洋折衷の学校を奨励しました。
そのためこうした建築様式を「藤村式建築」と呼びます。
山梨にはそうした様式の学校がいくつか残っているそうですが、この舂米学校はとても綺麗に保存されています。
有名なのは武田神社内に保存公開されているものですが、こちらはもともと敷島町睦沢にあったものを移設したもので、今回は甲府駅北口整備の一環で駅前に再移築されます。
増穂の舂米学校は、当時富士川舟運で栄えた町で様々な商売を手がけた大金持ち「小林家」からの寄付で建築されました。
余談ですが、舂米には埋蔵金伝説があり、今でも掘っている人がいるとかいないとか。
学校の中は展示室になっていますが、階段は擦り減り百数十年の歴史を感じます。明治の子供もこの階段を上ったのかな。
また、展示の中に「青い眼の人形」の実物もあります。
昭和2年、反日感情の高まる全米の子供たちに呼びかけ、友情の証として日本各地の小学校に届けられた人形ですが、第二次大戦の中で敵国のものとして処分されたものが多く、こうして残っているのは貴重なものです。
アメリカで名付けられた名前は「ヘルン・モナー」です。
よくぞ残ってくれたなと思う次第です。


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業
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