飯田蛇笏 龍太を訪ねて
2008.11.08 13:58 投稿者:パンダ 1号

境川に俳句の飯田蛇笏・龍太父子の足跡を訪ねました。
蛇笏の「芋の露 連山影を正うす」は、山梨県人なら中学校くらいで耳にします。
当時は意味も良く分からず興味もなかったわけですが、人なみに年を重ねると、なるほどなと思えてきます。
俳句は芭蕉のものくらいしか知りませんでしたが、飯田親子の暮らした境川村を訪ねる散策ツアーがありましたので参加いたしました。
最初にわかったことは、俳句というのは江戸時代から明治期、かなり庶民の間に流行し、師匠は百人以上の弟子を持ち、境川でも盛んに句会が催されていたということです。
集落の寺には明治初期の句会に大勢の人が参加し、その句が残されていました。
また、ここには臨済宗向嶽寺派の古刹があり、往時は相当な規模であったものと思われ、こうしたところでも俳句の下地があったかもしれないと思われる次第です。 寺の名前は 聖応寺。
この寺の参道にかかる小さな橋は、猿橋と同様な構造で興味深いものでした。
飯田蛇笏は早稲田大学に学び、その子供たちも優秀で大学へ進学しますが戦争などで兄弟が亡くなり、龍太が家を継ぎます。
でも、俳句という感性の世界は親子というだけで伝えられるものではありません。
親子二代で優秀な俳人となるのは大変まれなことだと思います。
親子の住んだ家は、「山蘆」(さんろ)と呼んだそうです。
今でも龍太氏の長男がお住まいです。
大勢の方が訪ねてくるそうですが、敷地内には入れません。でも当日は門のところでお話を聞かせてくれました。
現当主は俳句はまったくなさらないとのことです。
この山蘆の裏山で、あの「芋の露…」も生まれ、龍太の「一月の川一月の谷の中」も生まれたわけです。
同人誌の「雲母」もここで毎号編集されていたのです。
境川小学校では、「雲母」の全国大会も開催されたとのことです。
そして、龍太の釣りの友であった 井伏鱒二もここを訪ねてきたそうです。
藤垈の滝 という名所もあるのですが、俳句の里としての魅力を満喫した秋の一日でした。


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