母のことを思い出す
2010.02.18 20:59
この二、三年の間、老眼が急激に進む。
本、新聞を読む時はもちろん、犬を世話するにもメガネが欠かさない。
細かい作業が好きなので、家で洋服の修理やボタンの取り付け
たまには家内、子供のお裁縫なども私の仕事。
しかし、この頃、針に糸を通すのにとっても苦労。
老眼鏡をかけてもなかなか成功しない。
その時、必ず亡くなった母のことを思い出す。
母は戦前、新宿にある日本服装学院を卒業。
42才の時私を生み、いわゆる高齢出産。
その母が大好きなため、母が何処に行っても、わたしはぺったり。
当然、母がお裁縫の時にも。
決まって針に糸を通すのは私の仕事。
時々母に「こんなに簡単なのにお母が出来ないの?」と不思議に聞く。
すると母は何時も笑顔で「だから、お前も眼を大事にしなさい」と。
日本に旅立つ前、母に「お土産、何が欲しい?」と聞いたら、
お母さんは「日本の針を」との返事。
私はどうしてわざわざ針なのか・・・と意味がわかりませんでした。
日本に来たら早速、デパートに行き母のいう日本の針を購入し、
母の手元に送りました。
日本の針は穴の上に小さい隙間があるから、眼が悪くても
その隙間から糸を強引に入れることができる。
すなわち私はそばにいなくても母が自分で針に糸を通せるからだ・・・
やがて、私も老眼になりました。
母は日本に留学した経歴があるため、十数年間日本人のスパイだと
繰り返し紅衛兵に批判され、
極度な恐怖と貧困のなかにびびり、
明日はどうやって一家の食べ物を調達するかのような生活を長年
過ごしたと対照に、
私は中国に帰る度に務めた国の研究所に招待され、
大学の同級生に囲まれ、
わが社に何か先進な技術があるか、
日本と何か貿易が出来るか、
そして、
山の幸、海の幸、
宴会の毎日。
その意味で私は母よりずいぶん幸せだ。
今の国の政治情勢が安定していることに感謝すると同時に
母にすこぶる申し訳ない気持ちがいっぱいであります。
中国 2010年春節2月18日 記
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