金峰山(山梨百名山18)
2009.07.24 05:20 投稿者:ootaminoru

金峰山は金桜神社の本宮です。
起源はヤマトタケルノミコトの伝説があったり奈良時代の行者の言い伝えがあったり次第に仏教とも習合し吉野熊野の大峰山の蔵王権現を勧進したものです。
押し並べて物申すならば南北朝時代(鎌倉時代の後期)に南朝が吉野にあった時に飛躍的に全国へ吉野熊野の修験者を派遣して勢力を広げる運動を展開しその影響の下で甲斐の国の金峰山信仰が出来上がった。
出羽三山、石鎚山、戸隠山の修験も同様の経緯であったと思う。
その南北朝時代に金峰山への修験者の往来が形成されたものだったでしょう。
その後金峰山へ最も沢山の人が登ったのは江戸時代の後半の時期だったらしい。それは富士講の集団が富士登山をしたついでに、関東の信仰登山として富士山と双璧である金峰山を登って帰る風習が出来上がっていたようです。
金峰山信仰は富士登山にリンクしていました。
更に際立っての繁栄は日本百名山、山梨百名山に指定された現在のスポーツ登山である百名山巡りとしての巡礼者の往来です。
その事は富士山に付いても同じだろう。
吉田口から昨年2ヶ月で24万人が富士山に登ったのは今だ経験したことのない歴史的な現象なのだ。
写真1はあまり登山者が見ていない南側から見た五丈岩です。
江戸時代は甲府市の奥の里宮の金桜神社から、または山梨市から荒川の奥へ、水晶峠から金峰山に登ってくる登山道が最も一般的だっただろう。
しかし、現在はアプローチが長く殆どこのコースから登られていません。
水晶峠から南登山道を登りきった五丈岩の前には石垣が築かれて灯篭が一対置かれています。
この風景を見ている人は少ない。
現在は左右の尾根から登山道で登って来て五丈岩の裏側(北側)の広場に到着します。
写真1を特とご覧下さい。この風景が金峰山本宮の正面玄関です。
写真2は北側から五丈岩です。
写真3は高山植物の一つキバナシャクナゲ
平成21年6月17日


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