北沢峠テント泊(その1)
2009.08.28 17:06 投稿者:ootaminoru

テント泊も旅行の一つの文化的形態です。
観光の一つの生活形態です。
平成21年8月25日午前中の仕事を終えて芦安駐車場へ直行し、広河原行き山梨交通バス最終便に乗り込む。広河原で南アルプス市営バスに乗り継いで北沢峠の終点着。
峠から100㍍手前に下った北沢駒仙小屋のテントサイドに幕営する。
料金一人一泊500円です。
今年5月から山梨百名山を一緒に廻っている友との一泊二日の旅です。
友にとってテント泊は初めての経験です。
あんまり寝れなかったそうです。
テント泊(露営)の映画は昔、映画で西部劇でよく見たものです。
荒野に野営して荒くれガンマンが旅をする。
最近は映画の定番、チャンバラに西部劇が少なくなった。無くなった。
テント泊も一つの旅行の形態です。
最近ではテント泊は流行らなくなった。
小奇麗に、荷物を軽く、お金で勝負して、山小屋の食事を何の手間も掛けずに美味しく頂く。山小屋の据え置きの布団に包まって寝る。
お客様です。
大部屋に並んで雑魚寝なので殆どお話も歌も喧嘩も酒盛りも出来ない。
一方、テント泊は自分で調理して煮ておかずを作って、主食はレトルト御飯を熱水で暖めるだけ。
テントは適当に間隔が空いていて孤立しているのでお話をして酒盛りをして、、、歌を歌って(今回は歌わなかった。)、、、仲間内の共同生活を楽しんだ。テント内はお客様ではなく我家の生活空間なのだ。我家の主なのだ。
それがテント泊の山小屋にはない決定的な文化的生活なのです。
孤独を楽しみたかったら一人でテント泊をすれば好いし、夫婦連れならば一層仲良しになれる。
眠くなったら自由に自前の寝袋に包まって寝るだけです。
翌日は4時に起床して炊事をして用足しをして4時45分に出発。
時間に追われることなくゆっくり休み休み甲斐駒ケ岳に登って行きます。
山の歌が大いに流行った。テント泊やハイキングが廃れるに従い山の歌や愛唱歌が消えていった。
写真1は旧長衛小屋(今の北沢駒仙小屋)の指定テントサイドに幕営した
埴生の宿です。
竹沢長衛は伊那谷の人で、日本登山史に記録されるような登山道の整 備や登山の反映に貢献した人らしい。
テントサイドの近くの岩壁にブロンズの肖像が填め込み解説がなされ ています。この旧長衛小屋が北沢峠のかつて林道が開通する以前の甲 斐駒ヶ岳、仙丈ケ岳登山口のベースキャンプ地だった場所だ。
ですが北沢峠は山梨県と長野県の県境になっているのですが北沢峠そ して甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳は長野県の旧長谷村、伊那市の文化が漂っ ていて山梨県の臭いが希薄に感じます。
私の偏見だろうか。
写真2はキャンプ場の隅にある丈の高い大きな葉の蕗です。
恐らく、北海道の阿寒湖畔付近に自生していてものを栽培した蕗の
ような大型の蕗をここに植えたものと思います。
新潟県でも栽培しているそうですね。
丈は1.5メートル以上あります。
ここのトレードマークです。
写真3は北沢駒仙小屋の本館です。
別館でトイレがありますし、水と炊事場が外に完備しています。
キャンプ地の最低の立地条件です。
多様な経験をする。
観光はその昔、寺院仏閣の建物を見て廻る。次いで自然の景色を堪能する。次いで現在は体験型の観光だと言われています。
キャンプ生活、テント泊も少数派ですが、体験型に通ずる文化的な趣を持つ生活スタイルです。


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