舞鶴城公園(甲府城跡)の晩秋(2)
2009.11.17 21:39 投稿者:ootaminoru

私は甲府城御案内仕隊の隊員としてボランテアで甲府城跡を訪れたお客様に山梨県の観光案内をしています。お客様のニーズに合わせて守備範囲は多岐に渡ります。解からない事や知らない事には聞き役になる事もしばしばです。持ち場が甲府城ですので主に甲府城に関することが多いのですが、最小限度ご説明するのは
①甲府城は武田信玄公の城ではないこと。
武田を滅ぼして甲斐の国を占領した勢力によって築かれた城である事。
②時代は1600年の関が原の天下分け目の戦いの直前に豊臣秀吉の配下の浅野長政幸長親子によって築かれた。
以後徳川方の城となりました。
③石垣は野面積であること。
④1705年から1724年まで柳沢吉保吉里親子が城主であったがその時代が最も城下町及び城郭を整えた時期であった事。以後は天領(幕府直轄領)で甲府勤番支配であった。
写真1は坂下門跡:大手門から入場して坂下門を経て鉄門から本丸に至る重要な通路。黄色い樹木は榎木です。
写真2は本丸にカラスが運んで来た柿の種からの実生です。渋柿です。
どうして実生からと解かるかと言えば、私の勘ですが、、、石垣にひっついて幹が生えているからです。渋柿は食べてみたからです。
植樹したのであれば距離を取るはずです。
向うの石垣は天守台です。
写真3鍛冶曲輪から数奇屋曲輪への階段下のドウダンツツジの紅葉です。


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業
コメント
※ボタンをクリックしてもコメントフォームが開かない方は、
お使いのブラウザのポップアップブロック機能を解除してください。


近くのエリアの記事