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舞鶴城公園(甲府城)の晩秋(3)

2009.11.18 18:22  投稿者:ootaminoru

甲府城の稲荷曲輪に山梨(ヤマナシ)の原木があります。
いまだ10個以上の果実を枝にしっかり付けています。
果実は茶色で赤梨の典型です。
日本の梨は赤梨と青梨があります。

甲斐の国から朝廷に梨を献上したとの記録が延喜式(西暦927年)延喜5年の平安中期にあります。
青梨五担を貢進したとの事です。青梨である事に注目。姿形は記載なし。

甲斐国志には要約すると「山梨郡勝沼の上岩崎村及び北山筋長塚五箇村に梨が産する。いろんな種類があるが皆、青梨ではない。その形は紡錘形で上下が細く胴が太い。」
甲斐国志は文化11年(1814年)に編纂された甲斐の国の地誌です。

甲斐叢記、嘉永元年(1848年)に峡中八珍果として甲州の代表的な果実八種類を絵入りで書かれています。
林檎 柿 石榴 栗 葡萄 梨 銀杏 桃ですが梨の図は丸く球形に書かれています。赤梨か青梨かは判りません。

写真1から甲府城跡にある梨は赤梨です。
大きさはピンポン玉より一回り大きくしたくらいです。
はたして日本古来からの梨なのだろうか。

写真2は天守台に向って撮影しました。
左側の二本の古木が梨の幹で天守台の最上段の石垣に梨の果実だけが数個写っています。葉は黄葉しています。

写真3は稲荷櫓を背景にした梨の幹と枝に下がる果実です。幹は3本から成ります。
果実は稲荷櫓の二階部分の屋根の右側の瓦にかかっています。

赤梨は果皮にコルク層が張り付いたものでガサガサしています。叉赤梨の果肉には石細胞と言って硬いリグニンとベントサン成分の結合粒子があります。
赤梨を食べるとジャリジャリします。
代表的な赤梨でロングランの品種は長十郎でした。明治28年に神奈川県下の梨園で発見されて昭和40年頃まで生産していました。今は改良新品種に押されて見たことも食べた事もありません。
現在は赤梨系として豊水と幸水、秋月が主力です。梨の生産のうち豊水と幸水で64.5㌫だそうです。

一方、青梨は果皮にコルク層がありません。緑から薄黄緑へ完熟すると黄色になります。果皮はスベスベして綺麗です。叉果肉に石細胞が含まれていませんので包丁で皮を剥きますとミズミズシイ果汁が滴り落ちてきます。
その代表は二十世紀です。
二十世紀梨は明治21年に千葉県下で発見されました。
病気に弱く美味しい味を出すには栽培技術が難しいとかで最近では殆ど見かけなくなりました。改良品種に瑞秋があるそうです。
統計に依りますと二十世紀梨の生産は梨全体の11㌫だそうです。
美味しい当たり玉の二十世紀梨は他の品種では味わえない上品な味がします。
ですが、今年、甲府市卸売り市場で見つけて購入して食べました。
味はイマイチでした。本来の美味しさが出ていませんでした。

近くでは長野県伊那市、駒ヶ根、飯田市近辺が二十世紀梨の産地です。叉全国的には鳥取県の二十世紀梨が有名です。

山梨県は何故か梨の生産が現在ほとんどありません。
つたない私の経験ですが曽根橋を渡って考古学博物館と笛吹き川の土手道の中間で梨の栽培園を見ますが他では見たことがありません。
何故江戸時代に山梨八珍果の一つであり栽培していたのに、叉山梨県の県名は明治時代初期に山梨郡からの語彙を採用したそうですが、律令国家成立の古来から山梨郡の地名は山梨岡神社から由来する野生種の山梨(ヤマナシ)の木があったとの言い伝えから来ているようです。
切っても切れない梨なのに何故現在梨の生産は途絶えてしまったのでしょうか。

山梨県下に梨の古木が甲府城跡を含めて12箇所にあるそうです。江戸時代に遡る樹齢140年以上の古木でしょうか。
山梨郡と山中湖富士吉田地方に集中しているようです。
それが何を意味するかは私には分かりませんが山梨の梨のルーツ研究は山梨県埋蔵文化財センターの小野正文氏が詳しいです。

どなたか甲府城跡のヤマナシの果実の種子を播いて育ててみませんか?
現在、私は種子を二粒持っています。お分けいたします。
そして更に果実が落下するのを待っています。
発芽率は高いそうです。

山梨県のヤマナシの原木を見に是非一度甲府城跡へ見に来てください。
栽培種ではないと思いますがしかし野生種かどうかは判りません。
明治の初年に初代県知事藤村紫朗が甲府城の曲輪にいろんな種類の果樹を試験的に植えて殖産興業を起こそうとしました。その一つが葡萄でした。
主にアメリカからの洋種の果樹だったそうですのでこの梨も洋ナシの台木用に栽培されていたものが今日まで残っているのかもしれません。
この梨は美味しくはありませんが食べられます。昨年食べてみました。
しかし硬いし糖度は低く梨の香りはしますが小さ過ぎます。
とても食用にはなりません。
ミステリーです。


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