長禅寺と若尾逸平御廟
2009.12.17 18:20 投稿者:ootaminoru
レンタルサイクルの出発点に最も近い観光拠点と思われる長禅寺(甲府市愛宕町)は武田晴信の母君である大井夫人の菩提寺です。
長禅寺の場所は甲府駅から徒歩で15分くらいでしょうか。
中央線の線路に沿って東に北側の道を歩けば五重の塔が見えます。
大井夫人は1552年(天文21年)に死去しその時に母君を傍で供養する為に息子の晴信によって創建されたと言います。大井夫人の名前は分っていません。大井家から嫁に来たので旧姓の大井から嫁に来た夫人と言っています。
絶対に花子だとか晴子だとか固有の名前があったはずです。
晴信の正室である三条夫人も天皇につながる公家の三条家から嫁に来たので三条夫人と言っているのと同じです。
元々長禅寺は甲西町鮎沢に大井氏の菩提寺として長禅寺があります。真言宗でしたが1316年(正和5年)に臨済宗妙心寺派に改宗しています。大変古い寺です。
大井夫人は国人大井信達の娘です。武田信虎と勢力を二分するくらいの勢いの大井氏は駿河の今川氏の重臣福島正成の加勢を得て飯田河原、上条河原で争います。
信虎が勝ったので大井信達から服従和睦の印しとし娘を差出し、信虎はそれを正室としたのです。
その大井夫人の里の長禅寺を分けて晴信によって甲府市愛宕町に創建しました。
現在も(古)長禅寺として甲西町に夫人のお里のお寺があります。
甲府市愛宕町の長禅寺の開基は大井夫人であり創建は1552年の天文21年だそうです。大井夫人の命日になります。
臨済宗妙心寺派の武田五山の一つでしたが現在は臨済宗系の単立寺院だそうです。
永禄2年(1559年)晴信が出家して信玄になる時に長禅寺住職の岐秀元伯が大導師を務めました。住職岐秀元伯はそれ以前から晴信の学問の先生だったそうです。
話は近代、現代に移ります。
ここには江戸時代末期に開港した横浜で通商し後に明治、大正期及び昭和初期に一大財閥を形成した若尾逸平及びその一族の御廟があります。
御廟と表現するに相応しい芝白金の増上寺、徳川家の御廟にたたずまいと雰囲気が似ています。
権勢と富を誇った若尾一族です。お盆の時には行っていませんが何回訪れても花一輪のお供えも見かけません。タイミングが悪いのでしょうか。私の偏見でしょうか。
市井の人から人心が離れて過去に埋没する勢者必衰の理を表す図式に私には見えます。
今風に言えば砂漠の上にオイルマネーや世界の富豪層の外貨で築いたドバイの摩天楼のバブル期の鼻息と債務不履行をやっとこさ資金援助によって回避したけれど借金に喘ぐドバイ政府の現在を見る面持ちです。
美空ひばりや太宰治の墓には花と線香の香りが絶えないそうですが。
美空ひばりは魚屋さんの娘からスターダムにのし上り成り上がり者の傲慢さが鼻に付く一面がありましたが所詮大衆と共に歩んだヒーローだったように思います。「悲しい酒」が大好きです。
人の死とは肉体の滅びたときにあらず。人心が離れた時に死が訪れるような気がします。
そんな感想を得た大井夫人と若尾家の墓参りをして来ました。
写真2は大井夫人のお墓
写真3は若尾逸平及びその一族の御廟
コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業
コメント
- 太田さん楽しく懐かしく拝見しています。湖読み終わりましたら今度はどんなのが出てくるかなと想像しながら拝見しています。
- 投稿者:片山福雄: at 2009/12/21 18:41
- 大井夫人が武田信虎に輿入れしたのは1521年の飯田河原や上条河原の戦いよりも前です。この1521年信虎と大井氏の戦いのあった年に晴信が生まれています。
ootaminoru - 投稿者:ootaminoru: at 2009/12/18 04:15
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