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甲斐の古道、市川道(2)

2010.01.05 21:25  投稿者:ootaminoru

甲府方面から精進湖線を登って行きますと右左口トンネルの出口が古関です。
江戸時代の前、此処に関所があったものと思われます。ですから古関です。
江戸時代、この方面は女坂峠(阿南坂)を越えて精進湖に出てそこから本栖湖に進みます。これが中道往還です。
その本栖に江戸時代の関所がありました。

古関は平成の合併によって上九一色村から分離して甲府市に編入して甲府市古関となりました。
その古関から芦川渓谷沿いに細い自動車道路が下っています。
行く先はJR甲斐上野駅であり市川大門駅です。


この道が市川道で富士川(釜無川)との出会いは約10kmです。
古関の三叉路を芦川に沿って下り300メートルほどの所に旧中道往還右左峠(迦葉坂)への下九一色側からの登り口があります。
峠を越えて甲府盆地側の里が右左口宿です。
あまり峠道は歩かれていませんので崩落地もありますが比較的保存状態が良いです。石仏があります。


写真1古関の永泰寺です。
   釈迦堂の欄間に極彩色の天女が太鼓を打っています。

写真2は途中の観音城です。
    城壁のように切り立っていますので城と名付けられたものと思いま    す。この下の沢道を通ります。


写真3は下芦川のほぼ真ん中の高萩村落の円竜山光源院です。
   此処の村落は渓谷の最大の村です。小学校があります。
   この寺は地頭内藤肥前の守の菩提寺だそうで、その子だか孫が建てた
   そうですので17世紀に入って建てられたものと思われます。
   その事は少なくともそれ以前からの中世の村落である事を語って
   います。


1月3日から4日、5日と連載で山梨日日新聞の一面に「やまなしふるさとの地平線第一部消え行く村、折門」が掲載されています。
折門はこの芦川渓谷の左側(下部)の山脈を越えた麓です。
中腹ないしは麓には八坂地区の大久保であり三ツ沢であり折門であり御弟子、沢村落があります。
大久保に一人残っているようですがそれ以外は住人ゼロの廃村になっています。
芦川渓谷沿いの市川三郷町の村落は村落の傍に舗装された一車線の道路が走っています。最近では道幅を拡張して片側一車線も区間が増えてきました。
ですから市川方面、甲府方面への移動が自動車で可能です。
その昔は林業や薪、炭等の換金商品で生計を立てていたと思います。
しかし、現在地域内での仕事は急斜面の狭い畑作地があり自給自足的農業を営んでいますが生業とまではいきません。
地域外で何らかの仕事に従事していると思われます。
やはり将来的には心配な限界集落だと思います。

山梨の将来を語る時、マスメヂアや新聞紙上に掲載される肩書きを持つ経済人や公務員、学者は異口同音に自然が豊かで東京に近く環境、福祉、健康、農業、観光といった将来性のある分野においての資源に恵まれていると言います。
しかしその産業政策について具体的にビジネスモデルを語ってくれる人はいません。
仮にビジネスモデルが示されてもビジネスチャンスに恵まれる人と恵まれない人がいるだろう。

そんなに山梨には自然があり、水、空気、山、森林、農業の資源があるのに何故過疎地が出来たのか。
これから過疎地が解消されるというのであれば何がどのように変わったのでしょうか?

近代化、市場経済、高度経済成長、グローバル化などなどの経済的な変動でそれに伴って生活様式の変化が生まれて過疎を生んだと思うのですが、それは、たかだか100年くらいの歴史の内だ。
どれだけ自然に恵まれていても、日の当る部分と日影の部分が出来て今後も益々二極分化が進むだろうと思います。
これは一般論であり努力と智慧の積み重ねで地域社会の活性化に人為的浮き沈みが出て運命を変えられるものだとも思いますが。


そうした陰の部分の存在も、しっかり認識した上で、山梨の地域社会をしみじみと観光客の方々にご案内する事もあるかもしれません。

山梨日日新聞1月5日P1やまなしのふるさとの地平、消えてゆく村
より引用します。

下折門集落に皇太神社に詩の額が掲げてあった。

南アルプス望みつつ
尋ね来ました故郷は
人のすまない折門で
上と下との姉妹村
生まれ育ったこの村の
歴史閉じて十余年
消えた灯目に浮かぶ
故郷はアア廃墟村だ。

「上下折門は昭和45年500年の歴史を閉じて全戸転出し、夫々の新天地に移住した。過疎と言う時代の波に変遷の部落の姿をこの歌に記し、永久に伝えるものである。」歌にはそんな文章が添えてあった。-後略

新聞の右隣には
高さ800㍍の世界一ビル完成 ドバイ の写真が出ています。
砂漠の上に築かれた都市。そして6年の歳月で建設されたビルが1月4日に完成した。


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