3月8日甲府城(あせび)
2010.03.12 17:28 投稿者:ootaminoru

甲府城に赤と白の馬酔木(あせび)が咲きました。
隣のボケは今にも咲きそうです。
3月3日は朝から小雨が降りました。とても寒い一日でした。
そんな中、団体予約で甲府城ボランテアガイドが午後から入っていて出動しました。
甲府市北新地区の某少年団の6年生卒団式の記念行事でした。
子供に甲府城をガイドするのは難しいです。
目線を小学六年生に合わせて解かりやすくその本質を説明する事が寛容です。
このお城に誰が住んでいたかは必ず聞かれます。
権力者、統括者が一国一城の主、藩であり殿様であれば解かりやすいのですが天領であること即ち幕府直轄地でした。
そこのところを6年生にもなると素通り出来ません。
甲府勤番支配を説明しなければなりません。
♪ テンテンテン毬テン手毬 テンテンテン毬の手がそれて、、、紀州の殿様 お国入り 金襴シャチホコ髭ヤッコ、、、、、 ♪
藩主を抱く藩政治であれば
10㌫以下の藩主、武士階級の支配者層と約90%の百姓の関係は支配者層が封建領主である限りは生かさず殺さずの関係の部分があったでしょう。しかし、藩主、武士も百姓も同じ釜のムジナである部分もあり運命共同体としての阿吽の呼吸と言うのか、共存共栄の関係が保たれていて、おらが殿様、おらが領民と呼び合う以心伝心の心を通わせる部分があったでしょう。
しかし甲府勤番支配は藩主がいません。
一方的で徹底的な官僚政治です。
藩主と領民の関係ではありません。
3000石クラスの旗本が5年から長くても7年、農民から年貢米を徴収しお金に替えて江戸の徳川幕府に送金するのが仕事です。
任期中に無事送金さえすれば御用達成で江戸に戻れる出先機関だったのです。
仕事のノルマは送金する事です。無事のお勤めとは年貢米を徴収し江戸に送金することです。
この藩主のいない天領政治と藩政治では領民としての個人と組織、支配体制に対する感情や対応方法は月とスッポンだったでしょう。
山梨県からはテンテンテン毬テンテンテン毬の愛唱歌は決して生まれなかったでしょう。歴代の甲府勤番支配者の名前さえ現在もそらんじて知る人は少ない。
この幕府直轄地であった影響が明治以後の山梨県の郷土経営に影響した部分の大きさは計り知れません。
小学生にこんな難しい事は言いません。
しかし、将来大きくなって歴史から何を学ぶか、歴史から郷土をどのように捉えるか?
地方分権、地方自治、地域活性化が一層今後大切な観点になってくるでしょう。
幕府直轄政治であった事の歴史的事実を説明する事は大切なガイドの一つだと思っています。
写真1と2はあせび(馬酔木)です。ツツジ科です。
富士山麓の青木が原樹海などに沢山生えていてそこのものはシロバナです。
有毒植物で哺乳類の動物はこの葉を食べません。
馬が酔って足が萎えることから馬廃(あしじひ)と言われたが次第に変化してあしびからあせびと言われるようになった。漢字も変化して馬酔木となったそうな。
「カワズ鳴く 吉野の川の 滝の上の 馬酔木の花び 末(はし)に置くなゆめ」万葉集より
写真3は今にも咲きそうなボケです。


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:四季・レジャー
コメント
※ボタンをクリックしてもコメントフォームが開かない方は、
お使いのブラウザのポップアップブロック機能を解除してください。


近くのエリアの記事