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甲府城のアジサイ

2010.06.23 05:42  投稿者:ootaminoru

甲府城の庭園にアジサイが咲いています。
盛りを過ぎて少し色が焼けてきた感はありますが、なかなか綺麗です。
アジサイの咲いている場所は二箇所あって鍛冶曲輪の現在、日本庭園になっている部分と稲荷櫓の下でその昔、柳沢吉保吉里親子が城主であった時期以来、花畑のあった薬草園の曲輪の部分を公園にした部分です。
この記事は鍛冶曲輪のアジサイに特化して記します。
この日本庭園のある場所は明治維新後の藤村県令が着任し山梨県の殖産興業政策の一つとして甲府城の鍛冶曲輪に殖産試験所を建設します。その一つが葡萄酒製造場だった。甲府城の平らな曲輪は葡萄とか外来の果樹が沢山植えられたそうです。葡萄酒製造の他、何を加工し製造していたかの詳細は知りませんが缶詰やジャムなどの瓶詰めなどもここで試験していたものと思います。
場所は転じますが稲荷櫓の前の広場にある「山梨」の古木もこの時期に植えられたものかもしれません。
誰に聞いても何時どんな経緯でこの場所に「山梨」の樹木が植えられたのか答えてくれる人がいません。
ただ言える事は梨の果実を採る為に植えられたものではなさそうです。果実が小さくて叉熟しても硬くて石化していて食べられる代物ではないと同時に樹形が自然樹形で直立し果実を採る為や枝を挿し木や接木にする為の親木でもなさそうです。
しかしその時期に植えられたものだと仮定すれば明治維新後の山梨県の殖産興業の生き証人としてシンボルとなる大切な記念碑な訳で周囲20メートルを立ち入り禁止にして、ほかほかな土壌にして保護をしてしかるべき遺産だと思う。
現在この樹は弱っているように見えます。
藤村記念館(擬洋風建築)が武田神社境内から甲府駅北口に移動する工事中ですが、それに匹敵する大切なものだと思いますが現在粗末に取り扱われています。

話は元に戻します。
舞鶴城公園で最も庭園らしい部分です。
枯山水の庭園となっています。

どうです、綺麗でしょう。


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