蛍と蓮をつなぐもの
2010.06.28 17:28 投稿者:ootaminoru

釜無川に近い昭和町の押原公園の蛍と甲府市の南部、笛吹川に隣接する落合の蓮をつなぐもの。
それは釜無川の水脈です。
「今回、落合の蓮は撮影できなかった。実際には蓮の写真は荒川、濁川を超えた笛吹市砂原のものですが、蛍と蓮を繫ぐものは水脈であり水系なのです。」
写真2で釜無川水系は本流は真っ直ぐ下っていますが今尚、水門から取り入れられた中小河川は左上の釜無川竜王から甲府盆地のほぼ中央を斜めに下り現在は荒川に遮断されて中央市の乙黒で笛吹川に合流しています。
中央のやや右側の上から縦に荒川流路、そしてその右側に濁川流路が夫々笛吹川に合流しています。
武田信玄が竜王で信玄堤を築き始めた事によって流路の南進化が始まり現在の釜無川の川筋の土台を作りました。実際は江戸時代に累々と工事を継続して完成させたものです。
それ以前の釜無川の流路は竜王から昭和町を流れる現在の中小河川(鎌田川、山伏川明神川など)が本流で斜め右下に下り荒川と合流して現在の荒川筋ではなくそのまま右下方向に進み濁川流路と合流して落合で笛吹川に合流していました。
そうした古代から甲府盆地は釜無川や笛吹川、濁川などの幾つかの大きな水系や水脈がもたらす氾濫原や自然堤防の上に耕作を開始し、やがて村が出来て、人為的な水防工事を施し堤防の繋がりが村と村を繫ぐ道になって物資の移動や人的な交流が行なわれたでしょう。
村々は河川の流路、水系毎上流と中流下流とリンクして水防に関する運命共同体として暮らして来たと思われます。
生活を継続する上で水系や水脈に係わる安全や水の確保は最大の伊関心ごとであり比重が重く大きかったでしょう。
現在は農業の県民全体に占める経済的な比率が小さい。あまり水系を問題にしなくなりました。叉近年大きな水害など、水に関係した災害がないので水に関する何となくの安全思想が蔓延しています。
地域毎及び地域内の有機的な関連性が失われ市町村単位に経済的な繁栄の為にバラバラの思想で生き残り合戦を繰り広げています。
市町村単位の日常生活する上で関連性は殆ど感じなくなりました。
経済的な繁栄とは製造業でありその上に立つサービス業であり地域を越えた広がりの中にあります。殆ど水系や水脈を意識しなくなりました。
上流の伏流水は蛍をもたらし、下流域では蓮根の花をもたらしています。今尚、水脈、水系が地域社会を担っている部分があります。
このような甲府盆地の広い範囲から行政単位を超えた郷里の繁栄、活性化について住民レベルでの意識の高揚があっても良いのではないかと思う。
蓮根畑などの存在はもっともっと甲府盆地の人に知られてしかるべきであり、昭和町の源氏ボタルの復活と合わせて観光の対象にもなる眠れる資源だと思う。
写真2は昭和町誌から引用しました。

コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業
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コメント
実は私の父の実家は富山県富山市で蓮根栽培をしていました。
明治の早い時期に北陸線の富山駅と線路を造るのに盛り土が必要で付近の農家から半強制的に田畑の土を提供させられたそうです。
深く掘れて水が溜まったので以後蓮根畑にその一帯はなったそうです。
やはりお盆の頃、蓮の花を切ってお供えにしたそうです。