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浄土真宗王国で日蓮宗のお葬式

2010.08.14 17:23  投稿者:ootaminoru

北陸富山県で日蓮宗のお葬式に行き会いました。

北陸三県、福井、石川、富山県は歴史的にみても圧倒的に浄土真宗が多い。
それなのに、何故富山市で日蓮宗なの?
遠い戦国時代の際に武田信玄は上杉と戦う時に川中島から日本海に抜けて上杉の北陸進出を阻みましたが一方、松本平から飛騨を経て神通川を北上して越前の一向宗と手を結び上杉勢の進出を阻みました。

初七日の時に和尚様にどうして富山に日蓮宗なの?と伺うと加賀百万石の前田家と富山の藩主の前田家は禅宗(曹洞宗)と日蓮宗を宗門とし夫々菩提寺を持っているのだそうです。
砺波平野の散居村が有名ですが一向宗(浄土真宗)の勢力を削ぐ為の政策だったとも言われています。その真否はここでは不問にしますが宗教集団を恐れた為政者は民衆とは別なもの、即ち浄土真宗以外の他宗派を採用したものと思う。更に二つの宗派を持つことは思想や哲学上は奇異な感じがするが政治的に二つの宗派を持つことに依って宗教に政治が利用されることのない体勢を敷いたものと思う。私の個人的な推測ですが。

多くの藩の多くの大名も叉複数の宗門を持っています。
ちなみに徳川家は浄土宗(増上寺)と天台宗(寛永寺)の二つを宗門として菩提寺としています。

富山県の日蓮宗は明治維新後に他宗派から改易したものではなく江戸時代初期から為政者と共に入り込んできたらしい。和尚様の話ではもっと前に遡るとの仰せでしたが、、、、、、、。

和尚様は修行の時代は山梨県身延の久遠寺に9年間御勤めに来ていたんだって。
此れからの日本の仏教の行く末、それと二人三脚の民衆の宗教観(生死観)の行く末。
そんな事を少し話したかったが、噛みあいませんでした。


藩主が日蓮宗を菩提寺としているので富山藩の武士にも日蓮宗を菩提寺とする家系がいたのだそうです。
富山城の大手門に近い故武家屋敷の武士の末裔はお家代々の葬式仏教を継承しているのだそうです。

山梨県が残すものは何か?
特定な宗派を宣伝するものではありませんが長らく日本人に定着してきた宗教観だと思う。
「共に生きる思想」なのだ。


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