甲府城跡の石垣
2012.12.06 20:31 投稿者:ぶどうおばさん
甲府城跡は、平成2年~16年にかけて舞鶴城公園整備事業の一環として城内の整備や3つの門(稲荷曲輪門・鍛冶曲輪門・内松陰門)と1つの櫓(稲荷櫓)が復元されました。現在は鉄門の復元工事が進んでいます。
築城当時のものとして残るのは石垣と石切り場跡、家紋瓦などの出土品等です。
1600年に豊臣家が築城し、浅野家、徳川家、甲府勤番によって治められて来た甲府城に今も残る、400年の風雪に耐えた石垣は文化財としての価値も高く評価されています。
山梨の武将というと武田信玄が筆頭に浮かびますが、甲府城は信玄ゆかりの城ではありません。武田家は信虎(信玄の父)が甲府市北部に1519年に築いた躑躅ヶ崎館を本拠地としました。館の北は山、下には扇状地が広がり館からのメインストリートが真っすぐ南へ延びています。館は土塁や深い堀に囲まれた城のような堅固な造りで、もしもの時は北側にある要害山の山城に立てこもるようになっていました。信玄は1541年に信虎を追放したのち敷地を広め建物も増やし充実させました。碁盤の目状に走る道路は...