平和
2010.07.13 20:33 投稿者:ぶどうおばさん

7月6日は甲府空襲が(1945年に)行われた日で、アメリカ軍のBー29爆撃機が
絨毯爆撃により甲府市街地の74%(79%という説もあります)を焦土に変えたと聞
いています。死者千名以上、重軽傷者千二百名以上が出たそうです。
今年も7月6日には市内の有線放送で黙祷が呼びかけられました。
毎年7月、8月になると1945年の太平洋戦争終結の時期に想いをはせることが多く
なります。私は戦後の生まれなので本や映像等の資料や体験者のお話から戦争について
知るのみです。
去年の政権交代以降沖縄の基地問題が大きくクローズアップされ基地•国防•安全保障と
いうテーマは国全体の難問として私達に突きつけられています。
「平和」という2文字は重い言葉だと思います。
外国からの侵略を受けずに独立した国として存続するためには、戦争の無い社会を維持
するためには何が必要で私達は何をすべきなのか。
私個人に関して言えば、考えをまとめる前にまず ”知る” ことが大切で現に起きた事柄
•相対する立場の見方•歴史のもたらしたもの等を広く見聞きして落ち着いて考える事が
肝要なのではないかと思っています。
(1枚目の写真 千人針
戦地に赴く兵士のために戦場での幸運を祈り千人の女性が
1人1針ずつ縫い結び目を作って兵士に持たせたお守りの布)
(2枚目の写真 ガダルカナル島攻防戦図
日本軍が敗北した西太平洋のガダルカナル島での攻防を兵士
が布に記した絵図。食料◦弾薬不足は深刻だったそうで「ガ島
は餓死の島」の文が見てとれます。ガダルカナル島に上陸した
総兵力約三万名強のうち死者◦行方不明者は約二万名(戦闘で
の死者約五千、餓死者約一万五千名)と推定されているよう
です)
2010年7月11日撮影 自衛隊資料館にて
(3枚目の写真 沖縄ひめゆりの塔
右の写真の石塔が「ひめゆりの塔」。
左の写真の奥は慰霊碑。慰霊碑手前の穴は、看護要員として
従軍した女学生と教師からなる学徒隊96名が隠れていた壕
跡で、1945年6月19日に進軍したアメリカ軍に手榴弾
を投げ込まれ(現地での説明は毒ガス弾とお聞きしましたが)
ほぼ全員が死亡した場所だそうです。
この場には一種独特の雰囲気があり快晴の夏空の下にもかかわ
らず冷気を感じた事を記憶しています)
2002年5月撮影 沖縄県糸満市にて


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