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山梨の山

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山梨県は山国です。
たくさん山に登ってきました。
その魅力は知る人ぞ知る宝です。しかし県内者を含めて知られていません。これからも自然の発掘に勤めます。ブログ初めてです。どうぞ宜しくお願いします。

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根場いやしの里(2)

2009.01.23 17:31  投稿者:ootaminoru

貧しい村ではなかったかも知れませんが決して裕福な村ではなかったと思う。
基幹産業の薪や木炭の需要は昭和35年頃から減り始めていた。材木の伐採や植林の仕事も減っていた。
しかし、家族が囲炉裏の間に集まり団欒を共にした時代だった。
子供たちは学校から帰って来たら家内労働を進んでした。誰もが働き助け合って暮らす時代だった。
今よりも物質的には貧しい暮らしだった。しかし、誰もが生きる希望を持っていた時代だった。働く事に勤しんだ時代だった。
その村に農業改善事業で酪農経営がもたらされた。新しい村落の経済的基盤を加えて希望に燃えて村の団結と協力を深めて村づくりに励んだ。
その根場村は突然消滅しました。

昭和41年9月26日裏山から土石流が押し寄せ村落を飲み込みました。
未明の時刻で寝ていたしそのような災害は未経験だった事が被害を大きくした。
村落の家屋41戸のうち全壊が32戸、半壊が5戸であった。住民235人の内50人死亡、行方不明者13人を出した。

村をあげてこの地を離れて西湖の反対側の青木が原樹海の中に県から借地して移住をしました。
村をあげての移住だったので多くの借財を背負いながらも助け合う心をバネに生きる希望を失いませんでした。
助け合い励ましあいながらの村づくをしました。
その新しい村は西湖民宿村として再生の道程を歩みました。
40戸の家が建ちました。

災害の起きた元の地へ戻る家族は誰も居ませんでした。
それは多くの肉親を失い、現在尚、13名の行方不明者を出したままの地へ戻りその遺体の上に住む気にはなれなかったと言います。

私は昭和43年に民宿村に宿泊しました。
100名くらいで泊り込み村の広場で運動会をしました。

それから45年の年月が過ぎました。
忘れられたように、話題にもならずに民宿村は存在しています。
現在、高齢化が進み7軒?だけが民宿を続けていると言います。
それ以来一度も民宿村を訪れていません。

災害の後に建てられた「根場いやしの里」を訪れる時、私はどうしてもかつての災害を思い出さずには居られません。
根場村に乳牛飼育が始まり軌道に乗り出した時期でした。
工業製品輸出立国。トウモロコシと麦を代わりに輸入します。
昭和39年から減反政策が始まります。
農業の曲がり角と言われた時代です。「米や麦栽培さようなら、畜産果樹こんにちは」と言われた時代です。
乳牛(ホルスタイン)も土石流に飲み込まれました。
根場から早朝、毎日絞った原乳(牛乳)が二升缶に入れられトラックで旧道御坂トンネルを越えて甲府市の国母の牛乳処理工場に運ばれて来ました。
新御坂トンネルは昭和42年有料供用開始でした。叉精進湖道路は昭和48年供用開始でした。

そうした苦い思い出の村がどうして「いやしの里」となるのでしょうか。
そこにかつて住んだ住人を巻き込まない「根場いやしの里」に違和感を持ちます。

ここを訪れる人にとっていやされるものは何でしょうか?
ただの過去に対する郷愁だけでしょうか?

体験してみる。学ぶ。そこから新しく生きる物語や源を得て欲しい。
夫々の人にとってどんなメッセージを得るのでしょうか。
夫々の人にとってそんな「根場いやしの里」であって欲しい。


コメント(3) | この記事のURL | カテゴリー:観光施設アミューズメント

コメント

河口湖、山中湖以外の3湖への拠点としての「いやしの里」は、全くその通りだと思います。
樹海やその中の洞窟などの「非日常の世界」披露の拠点でもあり、それ自体が現代世界からみたら同じく「非日常」ともいえますね。
ですから、いかにその当時の生活を見せられるか、日本全体のイメージを表す集落ではなく、あくまで「根場」の特徴をアピールできる場所であって欲しいと願います。
投稿者:Anちゃん: at 2009/05/17 10:06
コメントありがとう御座います。
家族が平穏に暮らすことは何に勝るとも劣らない素晴らしいことですね。
なかなか現実には難しい面もありますが、どうぞそんな平穏の暮らしが出来るように祈ります。

癒しの里は富士山北麓の西湖、精進湖、本栖湖方面の観光客の導入拠点としての位置と意味を持っていると思う。
青木が原樹海の散策、洞穴の散策、本栖湖畔の戦国時代の石塁などなどを観光資源として新しい観光資源が外国人にも面白いかもしれません。

そうした樹海の非日常の世界を披露する拠点が癒しの里であり、宿泊は西湖湖畔の根場の民宿であったり、精進湖の民宿であったり、着地型の地元に喜ばれる観光商品になるかも。
今までは外国人に披露する企画は皆無だろうと思います。

投稿者:00taminoru: at 2009/05/17 08:55
「いやしの里」、土石流で犠牲になった方々を鎮魂する気持ちを表しているのでしょうか。
町の観光課ではその現実を踏まえ、普通の観光地のようににぎにぎしい場所ではなく、かつての根場村の様子を再現したいと仰っていました。
災害時は酪農を行っていたと初めて知りました。あんな山懐のどこで牛を飼っていたのか不思議です。
投稿者:Anちゃん: at 2009/05/16 13:20

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