甲府城
2009.02.24 05:25 投稿者:ootaminoru
梅の咲く県の史跡甲府城(舞鶴城)
駅から5分の地にこんなに素敵な公園があります。
公園の名前は舞鶴城公園です。甲府城公園ではありません。
史跡としてのお城は甲府城です。愛称として舞鶴城とも言います。
写真1は黒い城壁に陽の当る紅梅と白梅。
この角度からの1年で最も好きな甲府城です。
写真2は山手門
此処の場所からではありませんが、もう一昨年の暮れになりますが本丸から稲荷櫓を手前にその後に高層マンションを正面に入れて親子三人の家族写真をとって下さいとデジカメのシャッター押しを頼まれました。
その撮影場所はマンションを強調する角度とアングルだったので伺いますとやはりこのマンションに引越してきた住人でした。
年賀状用の添付写真を頼まれた訳です。
あのマンションにも新しい命が宿ったんだとその時始めて実感しました。
新しい故里の誕生です。
マンションの高さについて揶揄する向きもありますが一度建設されますとそこには新しい生命が誕生します。生命にはなんの落ち度も責任もありません。高層マンションの景観に与える問題と生命には何の関係もありません。
そのことを受け入れて考えるようになりました。
写真3は江戸時代の絵地図より
お城の下に追手門、左側に柳門、上に山手門です。
写真には一部分しか出ていませんが武家屋敷を包む二の堀、更に商人町を包む三の堀がありました。
三重の構えの甲府城でした。
このような町人町を取り込んだ城下町を総構えと言います。
戦国時代に城取り合戦の時には武家屋敷の女子供、更に町人や商人を楯にして戦う城主側の戦い方がありました。民衆を人質にして武士がお城に立て篭もる訳です。
ですから幕末の江戸城明け渡しの談判が成立する以前は官軍としては江戸の市中に火を放ち焼き討ちを考えていました。
攻めるほうとしては当然の成り行きです。
現在の国際法上の戦争の仕方ではこのようなことは禁じられています。
ハマスなどのイスラエルとの戦争はこの辺りが曖昧らしい。
民衆に混じり兵隊がゲリラを展開することや民衆を楯にする戦いはその民衆全体が戦闘行為をする兵隊(武力)と判断されて皆殺しにしても虐殺として扱われなく構わない訳です。兵隊と民衆をはっきり分けなければなりません。
ハーグ条約や更なる国際条約によって戦争といえども武力によって政治的、経済的な問題解決に当る手段として定められています。
右側(東方面)に鶴が飛んでいる姿になぞらえて江戸時代後半から明治時代初期の市中の人が愛称として舞鶴城と通称したらしい。
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