湯の奥村
2009.05.28 05:46 投稿者:ootaminoru
戦国の時代から続く金堀衆の里の村落だった。
湯の奥(中山)金山採掘場から下って来て耕作の出来る富士川流域まで10キロ以上あり、その中間の山の中の傾斜地に張り付くようにして小さな村落があります。
その50戸程の村落の中心的門西家にはこの地を治めた代官や関守としての古文書が残っているそうです。はるか戦国の時代から続く家系であり、村落だそうだ。
現在の当主は17代目だそうだ。
関守としての仕事は毛無山を越えて富士山側に下ればそこは静岡県の朝霧高原の麓村落であり、街道になっていたのかと思う。
村落の一番高台に神社がありました。
案内板に金山衆の信仰の守り神だったと記されています。
きっと昔は湯の奥(中山)金山の採掘地、精錬場の村落現場にも神社があったと思いますが、江戸時代に金の産出がなくなり採掘精錬現場の村落は廃村となり神社も消滅してしまったものと思う。
採掘場へ登る登山口には言い伝えに依りますと金堀衆の守護神である金山神社が七社あったと書かれています。
現在では里宮としてこの集落に鎮座するのみになったものと思います。
採掘現場、精錬所跡の村落からは安土地桃山時代の瀬戸物類が出土しているそうです。
中世から営まれて来た村落を見てきました。
登山とは山を生業にする里山を見学すると共に山辺の人々の住まい方をも垣間見させて頂くことにもなります。
里山は生産の場であり、生活の場でした。


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業
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