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山梨の山

登山と山と高山植物

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山梨県は山国です。
たくさん山に登ってきました。
その魅力は知る人ぞ知る宝です。しかし県内者を含めて知られていません。これからも自然の発掘に勤めます。ブログ初めてです。どうぞ宜しくお願いします。

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観音霊場巡礼の旅

2009.06.10 05:10  投稿者:ootaminoru

上積翠寺の瑞岩寺の元の古寺であった深草観音(岩堂観音)霊場へは甲府市相川扇状地の積翠寺側からと石和、春日居側から大蔵経寺山のニルートが主にあります。
特に大蔵経寺山ルートは古代から巨摩郡と山梨郡との境界線であり、古代の律令国家の時期から栄えた石和や春日居地区を出発点にしていますのでその係りがあるのではないかと興味を引きます。
その時代の甲府市、特に相川扇状地の積翠寺は武田信虎が1518年に躑躅ガ崎の館を設置するまでは人里はなれた寒村だったと想像されます。
積翠寺の起源も信虎が要害山に詰め城を築いた1519年に信虎の寄進で出来た寺のようです。
寺伝に依りますとその時期は積翠寺の中興の祖だと言われていて起源はもっと古い時期とされていますが、、、人が居ない寒村にお寺の用向きは無かったのではないか邪推するのですが。

むしろ大蔵経寺山ルートが深草観音へのメインルートではなかったかと推測します。
深草観音(岩堂観音)は奈良時代の行基?にその起源発祥があったと言い伝えされていたと思いますが時代は下がって(文化文政の時期に)境内に沢山寄進されて置かれた寄進観音様の年代から文化文政の時代のものが多くその時代が観音霊場の巡礼としては最も盛んだった事が伺えます。
ただし文化文政の江戸時代は完全に甲府城を中心とした城下町の発達によりこれ等の観音様の寄進は地元、積翠寺の住人であったり城下の魚町の旦那衆による寄進であることがわかります。

信仰への巡礼の旅。
伊勢参りや四国霊場八十八箇所巡り、富士登山、月山登山、北陸の立山登山、日光東照宮、板東観音霊場巡り、等などこれが江戸時代の信仰のための巡礼は観光旅行でもあり国外に出る行き先と観光切符を意味していました。
名主叉は菩提寺に手形で身元を保証してもらって巡礼の旅に出ました。
野次さん北さんの東海道膝栗毛はお江戸からのお伊勢参りを描いています。
あれは殆ど信仰を口実にした観光旅行ですね。

山道の殆どは樹木のトンネルの中を進みます。針葉樹の森のトンネルは昼尚暗く、落葉樹の森は黄緑のステンドガラスの中を進みます。
鶯よりも春蝉が沢山鳴いています。
時々、太陽が差し込む疎林であったり、松くい虫にやられて枯れてしまって伐採された赤松の元の林があります。
そのような太陽が差し込む疎林にはタカネバラの花が咲き木苺や00が実ります。
野次さん北さんの時代も宿場町を離れる箱根八里などはこんな按配だったのではないでしょうか。

当世の巡礼の旅です。


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