女高野山、長谷寺
2009.06.11 18:54 投稿者:ootaminoru

笛吹市(旧春日居町)に菩提山長谷寺(ちょうこくじ)があります。
長谷寺の案内掲示板にこの寺は平安時代隆盛を極めたそうです。
元々奈良県の桜井に長谷寺(はせでら)があります。凡そ8世紀前半の頃と推定されていて開基は道明上人ですが東大寺の末寺でしたが次第に独立し真言宗豊山派に分かれてゆきます。観音信仰で女高野山と言われ十一面観音が女性に優しかった。そこから駆け込み寺と異名を取った。牡丹が有名です。鎌倉の長谷寺はアジサイ寺としてこれまた有名です。
その奈良の長谷寺(はせでら)は女性に人気があり古典文学に登場し枕草子、源氏物語、更級日記も書かれています。
平安時代の初期に律令政治が行き届いていた時期に甲斐の国の国府にもコピーされたのが菩提山長谷寺(ちょうこくじ)だろうと思う。
その頃の山梨県の国府は春日居の国府、寺本、鎮目周辺にあったと推定されていて甲斐の国の律令政治の要の地で賑わったことでしょう。
その、山側の奥地が長谷寺です。その地は元々縄文時代からの斎場だった場所と推定され、時代が下がり、物部氏の守護神が山梨岡神社であり、律令国家制定時代の変遷と共に真言密教の斎場として人々から守られ、大切に保存されて来た場所だったと思う。
時代が下がり、荘園の発達が進み甲斐の国の律令政治が乱れて甲斐の国府の場所も移転しこの地を離れてしまった。そしてやがて戦国時代に戦国大名が国主へと入れ替わり守護大名の地が国府となる。
即ち甲斐の国のあちらこちらに、豪族や荘園が分散し人口もバラケて行った。
その事は菩提山長谷寺の衰退期に入ったと思う。
やがて山岳宗教の山寺は少しずつ人の通わぬ廃寺への道をたどるようになって行った。
私はこのように菩提山長谷寺を物語りたい。
境内の階段が500段ある大きな寺だった。
明治の頃までは山門が残っていたそうです。
昭和12年の頃までは7月13日の精霊迎の日に沢山の人が長谷寺に集まったと言います。
甲斐の国の歴史と共に歩んで来た長谷寺です。
写真1は500段の石段
筍が生えていました。
写真3は本堂です。


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