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		<title>わいわいねっと [山梨の山]</title>
		<description>山梨県は山国です。
たくさん山に登ってきました。
その魅力は知る人ぞ知る宝です。しかし県内者を含めて知られていません。これからも自然の発掘に勤めます。ブログ初めてです。どうぞ宜しくお願いします。</description>
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		<dc:publisher>わいわいねっと</dc:publisher>
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		<title>国際地方田舎で日本固有の文化を</title>
		<link>http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/04/021944203034.html</link>
		<description>日本における日系ブラジル人の学校です。
正規の授業はブラジルから取り寄せた教科書に基いてブラジル語（ポルトガル語）で全科目学習しています。
午後1時半からは課外活動や選択科目として日本語や英語等を学習しています。

日本語の授業は「ひろこさんの日本語1と2」をテキストにしてカリキュラムを組み5年生までに履修する計画を立てています。
漢字177文字。日本人の小学校中学年位までの学力を目指しています。
（日本人に帰化できる為の条件の一つは日本語の学力が小学校3年生を基準としています。）

日本語学習は基礎学力を向上させる目的の他に日本文化を学習させるのも楽しく叉、子供も喜びます。
集約的な農耕の里の風景と季節の営みや風物をなるべく見せる事にしています。
日本人さえ日本固有の原風景や、そこから派生する日本人の集団性や心づかいは崩壊し心から消えつつありますが、国際化とは根無し草になる事ではなく、しっかり自分が生まれ育った環境（バックグラウンド）を身に付けている事だと言われています。
なるべく野外研修と称して外に出るように心掛けています。

3月25日は近くの休耕田に行って、「つくし」と「なずな」と「ほとけのざ」と「たんぽぽ」を摘んで来て、栄養ドリンク壜に挿して子供達に写生をさせています。子供達は野外活動が大好きです。
子供は教えなくても既に水を入れて壜に挿す事を知っています。
オオイヌノフグリは小さくて畑で紹介のみ。

どんな場所に生えているのか。その花の名前は？
何度も発音させて定着化を図る。
教室に帰ってきて絵を描かせて特徴を覚えさせ、更に　ひらかな　で名前を筆記させる。
小学2年と3年生の日本語の授業風景です。

児童には姿形のある名詞を沢山、日本語で認識させて発音と文字で覚えさせる事にしています。
語彙を増やす事です。


写真2は5年生の児童が二人ブラジルに帰国する送別のための記念写真です。
送別のプレゼントとして1年間に遠足（野外研修）に出掛けた９箇所のデジタル写真を全コマ、DVDに焼いて編集したものを。
そして、課外活動で使っていた日本の童謡集（60曲）をCDで歌詞カードを付けてプレゼント。
大人になっても生まれ育ったバックヤード、しっかり記憶できるように努めています。
平成23年3月25日撮影する。

山梨県　南アルプス市　若草地区藤田にて</description>
		<dc:date>2011-04-02T20:30:34+09:00</dc:date>
		<dc:creator>山梨学院大学</dc:creator>
		<dc:subject>甲州人のひとり言</dc:subject>
		<dc:publisher>山梨学院大学</dc:publisher>
	</item>
	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/04/021528163810.html">
		<title>安全安心が下敷きの国際化</title>
		<link>http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/04/021528163810.html</link>
		<description>テレビニュースに依ると東京浅草界隈では観光客がめっきり少なくなったそうだ。
特に外国人の観光客は少なく土産物屋の女将さんは売り上げが殆どない。叉、外国人の宿泊で有名な沢の屋旅館の御主人の弁では、全くお客さんがいない日があるそうだ。そんなことは30年間営業をして来たが一度もなかったそうだ。

山梨県下の観光産業に及ぼす正確な情報が殆ど取れませが富士吉田、河口湖そして石和温泉への状況は芳しくないと言います。
そうしたダメージは一過性のものか？

国内の日本人旅行客は当面、自粛だけれども、特に海外の外国人には福島原子力発電所の爆発、放射能漏れが日本の観光産業に与えるであろう影響力は技術的な解決だけに留まらず、もっと長期化するのではないだろうか。
そもそも、情報が正確に海外へ発信されているのだろうか。

国内以上にインパウンド観光の復興への道は、原子力発電所と放射能漏洩に一定の安全が確保された後に始めて開始されるであろう。
風評？と合い間って長い道程になるのではなかろうか。

逆に現在、インパウンド観光産業に携わる人や業界そして国際メデアが、今だから出来る事。及び、しておかなければならない事。教訓としてこれからやらなければならない事とは何だろうか。

問題が反れるかも知れませんが国際化の流れの中での国際交流の視点から提案したい。
例えば、在日外国人に冷静な情報を有効的に提供出来ているとは思われません。

山梨県に在住する日系外国人（ブラジル人）は今回の放射能漏れ事故に対してブラジルへ帰国する家族がいます。
製造業に携わっている日系ブラジル人の間では何処かの時点で帰国を考えていたと思いますが、これを契機に失業したのではなく自分の意思で夫々が帰国を固めたものと思います。
私の身の回りは小さな世間ですので全体を言い表しているかどうかは解かりませんが、山梨県の南アルプス市で日系ブラジル人の児童の教育に携わっている私の周辺で3月下旬から4月上旬に6人そして5月頃までにもう2人の合計8人/24人の児童の家族が帰国して行きます。
地球の裏側へ引越して行きます。
その選択は彼らに任せるべきですし、その選択が間違っているとは思いません。
むしろ児童の教育や将来の自立を考えたら現在の日本の外国人に対する児童の教育システムや熱意、カリキュラムからは早期に帰国したほうが良いと個人的には思っています。

彼らポルトガル語圏やスペイン語圏、中国語圏、ハングル語圏等の携帯やパソコンの情報網がそれぞれあるのでしょう。そうした彼らのネットワークの中で情報を交換し意思決定が行なわれている部分があるでしょう。
外国語である日本語が難解な彼らに冷静で適切な情報を何らかの手立てで提供するのも日本がグローバル時代の流れの中でポジションを得てゆく国際的な力量だろうと思う。

物が、お金が、情報が、そして人が交流する。それがグローバル化だ。
人の交流には子供が生まれる。
特に政府は製造業の圧力に対して製造業に従事する対象として日系ブラジル人がDNAが日本人と同じだと言う理由で就業と長期滞在を開放した。言語はポルトガル語だ。
人の交流には子供が生まれる。その子供の教育や児童の将来への自立はどうするのか？
日本の少子化の時代にその子供は日本で永住し日本人として帰化を促し労働力の補填と考えるのか、それに投下する経費は最小限にしたいとするコストと考えるのか？
大きな富と繁栄を生む先行投資と考えるのか？

子供は親が育てるのではなく社会が育てる。子供は社会の宝だ。

彼らに子供手当ては全く支給されないばかりか議論の対象にすらならない。

子供手当てを支給しろといっている訳ではないが、国際化に対する国際人の考え方が全て曖昧であり在日ブラジル人の子供に対する政策が不十分だと思う。
国際化とは目の前のお金や物だけではなく人間をも含むことを忘れてはいけない。

何かの縁で出合った児童達と突然のお別れは切ないものがあります。
もう二度と逢うことはかなわないでしょう。
日本人の血を分けた彼らに幸せあれと祈ります。

　　　　　さようなら

写真1は2年生の０００ちゃん。後は筆者
写真2は2年生のガガガガガくんです。</description>
		<dc:date>2011-04-02T20:30:34+09:00</dc:date>
		<dc:creator>山梨学院大学</dc:creator>
		<dc:subject>甲州人のひとり言</dc:subject>
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	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/311957220226.html">
		<title>廻る季節</title>
		<link>http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/311957220226.html</link>
		<description>東北関東大震災後の経過を固唾を呑んで国民が成り行きを見守り、何かお手伝いが出来る此処がないかと気をもむが、個人としては義援金を供出する位しか当面お手伝いが出来ていません。
山梨県としての地方自治体としては被災者の緊急避難所を開設して受け入れ体制を整えていますが、民事として信玄公祭、石和の川中島祭が中止としました。叉市町村レベルの花祭りも中止するところが多いだろう。


一方で、福島原子力発電所の放射能漏洩問題は人間が始めて体験する深刻な事態が続いています。安全安心への道程は遠いようだ。

こうした人間社会の憂いとは別に季節は何事もなかったように進行しています。
野にはホトケノザ、オオイヌノフグリ、ハコベ、ナズナが咲き、休耕地には菜の花が咲いています。
白木蓮の花は峠を過ぎ、サクラはエドヒガンザクラ、コヒガンザクラが満開ですし、いよいよソメイヨシノが開花しました。
甲府城の巽曲輪のサクラは3月29日現在二分咲き位の開花になった木がありました。此処は陽だまりで塀で囲まれているので場内で一番早く開花します。
浮かれる事はないが、そっと花を見に行きました。

青森県の弘前桜祭は行なうそうだ。今年は4月23日から5月5日までです。
それは、桜祭の期間中、弘前城を訪れる人は毎年250万人に達し、日本一の規模を誇る桜祭であり、東北地方の人の殆どは一度は弘前桜祭を観に来ているだろう。
震災以前の桜祭に来た家族での記憶を新たに、再生の道へ元気を取り戻して欲しいとするのです。
どのように感ずるかは人間次第ですが、地震や津波、原子力発電所爆発の驚異とは別に、巡る自然のダイナミズムを感ずる次第です。

がんばろう。

全てが同時進行で廻っています。</description>
		<dc:date>2011-04-02T20:30:34+09:00</dc:date>
		<dc:creator>山梨学院大学</dc:creator>
		<dc:subject>四季・レジャー</dc:subject>
		<dc:publisher>山梨学院大学</dc:publisher>
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		<title>新芽</title>
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		<description>野薔薇の新芽です。

東北関東大災害の被災者には何の励ましにもならないのかも知れませんが
生命の萌え出姿を見て下さい。

私の教え子の三人を含む三家族（日系ブラジル人）が地震の影響で夫々ブラジルに帰国することになりました。
本当に、突然のお別れです。

小学２年生二人、５年生一人です。
彼ら彼女らはブラジル語を母語として外国語として日本語学習をしていました。
私は日本語を指導しています。
現在２２名を複式授業で２クラスに分けて指導しています。

餞別として教室で歌っていた日本の童謡唱歌集のCD４枚（６０曲）をプレゼントすることにしました。歌詞付きです。
前を向いて生きて欲しい。
大人になって自分の人生を振り返る余裕のある時が来たら日本の童謡を歌って欲しい。

幸多かれと祈るばかりです。
平成２３年３月２３日　　さようなら</description>
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		<title>妙泉寺エドヒガンザクラ開花</title>
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		<description>中央市の妙泉寺にエドヒガンザクラが開花しました。

今日、３月２１日はお彼岸で本堂で法要があったらしく読経が聞こえました。</description>
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		<title>甲府城に白木蓮</title>
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		<description>白い鳥が群れて飛んでいるように見える白木蓮です。

この花が咲くとソメイヨシノ桜の開花が近い。
一気に春が押し寄せてきます。

平成２３年３月２１日甲府城稲荷曲輪にて</description>
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		<title>甲府城コヒガンサクラ開花</title>
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		<description>甲府城稲荷曲輪にコヒガンザクラが開花しました。

東北関東大震災の惨事とは別に季節の理どうりに今年も桜が開き始めました。自然の摂理は同時進行で人間に断わりなく進行します。
南無阿弥陀仏

平成２３年３月２１日撮影</description>
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		<title>甲府城山の手御門寒緋桜</title>
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		<description>３月２１日（月）甲府城山の手御門の寒緋桜が咲きました。
ほぼ満開状態です。
この桜は緋色であること、つぼ型にしか開かないのが特徴です。

山の手御門の整備が２００７年（平成１９年）に完成し、その時に植樹された桜が寒緋桜ですが、樹が小さく目立たない。
その内、年月を経れば甲府駅北口の観光名所になるだろう。
現在の時点で山梨県内では極めて珍しい桜だと思う。
この山の手御門は甲府市によって復元されたものですが、どうしてこの桜を植樹したのであろうか。

原産地は中国南部から台湾だそうですが、一部品種改良されて日本の園芸品種とも言われているらしい。詳細不明
ただ沖縄では桜といえば、この寒緋桜を指すのだそうで、沖縄では野生化して桜の代名詞になっているだそうです。

エドヒガンザクラ及びコヒガンザクラよりも開花が早く山梨県甲府盆地では一番に観られる桜なのだ。

３月２１日はお彼岸で祝日でしたが小雨が降って肌寒い日でした。
そんな事もあるのか、どなたもこの桜を観に来ていませんでした。
その内に人気が出るでしょう。
私の今年、桜見物第一号です。


平成２３年３月２１日撮影する。</description>
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	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/210637084216.html">
		<title>レンゲソウ、つくし、たんぽぽ</title>
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		<description>東北の朝晩はまだ冷たかろう。災害から１０日目を迎えた。
まだ閉じ込められた家屋の中から救助される人がいた。
救助。救援。不自由とは言え取り敢えずの避難所での生活。
救援物資が充分届かないと言います。
やがて緊急物資が届き一定の安定した避難所生活に入るだろう。
それと共に災害後の緊張感が融けて虚脱感に沈み込む人が増えてゆくだろう。
生活の基盤の全てを失い絶望と孤立感が生き延びた人の生気を奪う。

これからが長い復興への道程だ。
沢山の人の長きに渡る支援が必要だ。そして沢山の支援の制度が必要だ。

昭和２０年８月１５日。
私達の父母はB29から投下される焼夷弾に依る都市全滅作戦の火災の炎の下を煙に巻かれながら潜り抜けて瓦礫の下から這い出して、生を維持した。
しかし隣りあわせで多くの人が戦災で亡くなった。
生き延びた人は生活の基盤を全て失ったが孤立感や絶望感は少なかったと言います。母は６歳になる兄、私は４歳、妹は２歳を抱えていた。
母の生きるエネルギーはその当時は、みんなが支えあう互助精神が、親類縁者が助け合う血縁関係が深く根強く維持されていたからと言います。
日本人としての同朋意識。地縁血縁関係の絆。それからみんなが戦災で焼け出された同じ環境だったからだろうと言います。
戦後の物資のない時代をともかく生き延びて子供を育てた。明日を築く生産活動に精を出した。

時代は変わった。
しかし、東北関東大震災の被災者の長い長い復興への道程は同じだろう。
それを支えるのは結局、人であることには間違いない。
そして制度を支えるのは人であることを改めて胸に刻んでおこう。

地縁血縁、更に家族縁が薄れた孤立感、孤独感。富める者と生活苦で喘ぐ者の二者拡大。多くの非正規雇用の若者。自殺者の多き時代。先行きの見えない日本の経済。地盤沈下の世界経済のなかの日本、政治不信。天下り、行政の制度疲労。
そうした今日の日本の時代の中で、東北関東大震災の被災者だけが復興に特別扱いはされないだろう。多かれ少なかれ今日の日本の状況が投影されるだろう。
即ち日本の今が試されているのだと思う。

東北関東大震災の被災者に対する本当の支援の輪は日本の今が問われているのだと思う。
長い道程ではありますが被災者と共に私達は今日の日本の状況を背負って歩きましょう。

写真は３月２０日、晴れのち曇り夕方から雨。午後風強し。午後から野良に出て撮影する。</description>
		<dc:date>2011-04-02T20:30:34+09:00</dc:date>
		<dc:creator>山梨学院大学</dc:creator>
		<dc:subject>四季・レジャー</dc:subject>
		<dc:publisher>山梨学院大学</dc:publisher>
	</item>
	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/192228230533.html">
		<title>東北関東大震災</title>
		<link>http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/192228230533.html</link>
		<description>3月11日14時36分頃東北宮城県福島県の太平洋沖を震源地とする大地震が発生した。
山梨県でも私の住む中央市と忍野は震度5の地震でびっくりした。

震源地に近い東北の太平洋岸では地震による倒壊、そして津波。更に翌日から福島県の原子力発電所の不具合の発生。
不明者の捜索、被災者の避難所への当面の最低限の救援。そして原子力発電所の不具合の対策。東日本の電力不足などなど、同時進行で対応に追われています。

死者6911人。死者を含む安否不明者は1万8千994人に達した。（朝日新聞3月19日より）
亡くなられた方へご冥福をお祈りします。被災者の方々にはお見舞い申し上げます。

まずは生命の維持と安全と安心から。
こんな時期に観光は自粛。
一言も観光に関する新聞記事やマスメヂアーの報道がありません。
観光山梨にキャンセルが相次いでいるだろうが、それを報道し言い出す事さえハバカラレル状況だ。

山梨県の最大のお祭である信玄公祭は3月23日に実施するか中止するか決定されるそうです。
春の高等学校野球全国大会は開催される事になりましたが、多くのイベントは中止になるだろう。

今回の東北関東大震災を教訓に、必ず何れの日にか来ると言われています東海沖地震、南海地震に対して太平洋ベルト地帯の人口密集地及び大動脈のアクセスに対して、叉浜岡の原子力発電所の安全対策などなど改めて対応の見直しをしておく必要があるだろう。

暫くは私は山梨観光わいわいネットへのブログ掲載を自粛します。

写真は地震発生翌日の3月12日の朝日新聞より複写しました。
この時点では東日本大震災と称していました。</description>
		<dc:date>2011-04-02T20:30:34+09:00</dc:date>
		<dc:creator>山梨学院大学</dc:creator>
		<dc:subject>歴史文化産業</dc:subject>
		<dc:publisher>山梨学院大学</dc:publisher>
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	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/132115215128.html">
		<title>この道は新しく出来た道</title>
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		<description>新しい道が開通した。
県道市川大門線から昭和町イオンSC昭和店へ導く取り付け道路だ。

田園地区にある日突然、都市構造の核が誕生した。
広い範囲の商圏と称する消費地をドーナツ状に配置して新しい概念の都市構造の出現だ。
都市の核心部分は人口密集地である必要はない。
織田信長が安土桃山城の周囲に城下町を配置してその一角に楽市楽座を配置した。
企業城下町も同様である。
モータリゼーションの時代を背景とした日本の歴史になかった都市構造の出現だ。

実質的に遷都といっても良いのではないか。
遷都を決定するのは為政者でも役人でもなく、ドウナツ型に配置された城下町の消費者だ。
そんな風に思えた。

写真２は平成２３年３月１１日ソフトオープンしたイオンSC昭和店

写真３は甲府盆地から眺める新富士山展望場（イオンSC駐車場より）
都市の核の部分で富士山が見える。長らく甲府盆地の都市部の住人が失った富士山がそこに見える。</description>
		<dc:date>2011-04-02T20:30:34+09:00</dc:date>
		<dc:creator>山梨学院大学</dc:creator>
		<dc:subject>食事ショッピング</dc:subject>
		<dc:publisher>山梨学院大学</dc:publisher>
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	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/131830204944.html">
		<title>甲府城の春一番（梅）</title>
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		<description>甲府城の梅もほぼ役割を終えて早咲きのエドヒガンザクラ、エドコヒガンザクラにバトンタッチをしようとしています。

あと１週間か１０日位で開花するのではないでしょうか。
私にとって春のサクラはいつも心の準備を与えず突然やって来ます。

甲府駅周辺の人の流れはそれ程変わっていないようだ。
空洞化が顕著になって久しい。

甲府駅の北口に立体的な歩道が付いたが藤村記念館だけで目新しい生活拠点や新名所は未だ誕生していない。建設半ばと認識したい。
その中で藤村記念館は孤軍奮闘して目新しい企画でイベントを出しています。

駅南口のココリはテナントの殆どが開店休業状態で、地下の生鮮食料品を扱うスーパーマーケットは既に撤退してシャッター街となっている。
リニアール工事中と張り紙が貼ってありますが、家賃を支払いそれ以上の売り上げを出して企業利益を出す自信のある業者はもはや居ないのではないかと心配します。
リニアールの仕様の問題ではなく、構造的にそれ程商圏が狭まってしまったということだろうか。

ココリ周辺の紅梅地区の再開発に公的資金が５０億円投入されて来たそうだ。昨年１０月に開店して四ヶ月で地下と１階部分の店舗は、その主要な面積がシャッター街となってしまった。
甲府南部の昭和町にイオン昭和モールが３月１７日からオープンする。
ソフトオープンと称して実質的に11日から開店をしています。
ココリは戦わずして敗退したことになります。

何故こんなに惨めな負け方をするのだろうか。
一体、どういう勝算があって紅梅地区の核としてココリ建設になったのだろうか。高層部分はマンションだそうだけれども、そもそも入居しているのだろうか。お惣菜の生鮮食料品はどこで調達しているのだろうか。

甲府駅及び山梨県庁は明治時代以前、甲府城の内堀の城内だった。
現在残っている甲府城は当時の３０％ですが、この公園部分の甲府城には年間1万人の観光客が訪れます。
1万人の数字は決して多くはないが、訪れる人に憩いの場を与えています。
そして叉、県の文化史跡を切り口として山梨県全体の中世から近世そして近代に至る歴史をご案内するボランテア観光ガイドを配置し月曜日以外の毎日、お客様と対話しています。

これからも変わらずに継続されるだろう。

都市の活性化は集客力にあらず。
そこに住む人、そこで生活する人にとって楽しく有意義で幸福な生活が実現できていることであって、そんな場は余所者にとっても魅力あふれる人であり、街であり自然に周囲から寄って来る。
そうした機能を手前味噌になりますが甲府城御案内仕り隊がその一角を担っているように思う。
甲府市内の人、県内外を問わず、訪れる人に知的な好奇心と思考力を刺激する駅前のスクエアなのだ。

それは甲府城仕り隊のその人自身が知的好奇心を刺激し楽しんでいることです。
今年も観光の季節が巡ってきました。
どうぞおいで下さい。

継続は力なり。</description>
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		<dc:creator>山梨学院大学</dc:creator>
		<dc:subject>四季・レジャー</dc:subject>
		<dc:publisher>山梨学院大学</dc:publisher>
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	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/052238000635.html">
		<title>ハコベ</title>
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		<description>春の七草ではハコベラと言います。
元々ハコベラが転化してハコベになったようです。
ハコベラもハコベも漢字は繁縷です。

ナデシコ科ハコベ属のこの草は世界中の温帯を中心に広く分布しているそうです。約１００種あって日本には基本形が３種あります。

インターネットで調べたら沢山のハコベの記述に対して一つだけ麦の栽培伝播と共に日本にもたらされた史前帰化植物だと書かれているものがありました。　

ハコベは日本に元からあったと思っていましたので大変びっくりしました。
それが本当かどうかは私には解かりませんが、世界中で約１００種ある中で日本には３種しかない。

私が想像するに、その事は植物の進化や発生分化の歴史の中で、つい最近渡ってきたことを表すものかもしれない。
即ち、原産地は例えば１０億年の歴史と仮定して、長い年月の間に遺伝形質の変化（突然変異）が生じて沢山の種に分化する。その年月の長さが１００種類を言い表しているとも取れる。
日本は原産地から外れで歴史年代の２０００年前に３種だけ渡来した。
日本での年月が新しいので突然変異を起こす時間的余裕がない。
だから３種しかない。

このようなアプローチから麦の栽培と共に史前帰化説が生まれるのかもしれない。
確かにハコベは人間の周囲に暮らしていて山奥では見たことがない。
畑作の周辺の荒地や休耕地などに繁茂していて畑作との共生植物であり原野には見られない気がする。

この写真は３月２日に撮影した先駈けの１枚です。
撮り直そうとして３月４日に野良に出ましたが寒波到来で花が縮こまって咲いていませんでした。

都会育ちの私は終戦後の昭和２２～２４年頃ハコベを摘んで来てお浸しにして一家で食べました。
叉、ニワトリのヒヨコに刻んで餌として与えた経験があります。
野草の中で一番身体の一部分として馴染んで、思い出の深い植物です。

叉この植物はナデシコ科であることに注目です。
葉の付き方等はナデシコやカーネーションそっくりです。
花は白で小型ですが端正で気品があります。</description>
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		<dc:subject>四季・レジャー</dc:subject>
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	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/042125220723.html">
		<title>菜の花や菜の花や</title>
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		<description>菜の花や月は東に日は西に。与謝蕪村

菜の花はアブラナ叉はセイヨウアブラナの別名。
アブラナ科アブラナ属の植物で、古くは野菜として、叉は油を採る為に栽培されて来た作物です。原産地は西アジア、北ヨーロッパ付近で大麦畑の生える雑草だったそうです。
大麦の移動と共に拡散したと考えられています。
中国では漢代に栽培され、日本では弥生時代に伝播したと考えられているそうです。
江戸時代に入り植物油の採集のために大量に栽培された。食用のほか灯油として需要が拡大し消費された。

蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」は安永３年（１７７４年）蕪村が六甲山脈の摩耶山を旅した時に目にした菜の花畑を読んだとするものです。

菜の花も大和なでしこ、ではなかったのだ。どうだ参ったか。


平成２３年４月４日撮影。</description>
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		<dc:subject>四季・レジャー</dc:subject>
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		<title>ナズナ</title>
		<link>http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/032118220712.html</link>
		<description>春の七草に名を連ねていますナズナです。平安時代に既にその名前が出てきて食用にされていたそうです。
中国では6世紀頃から食用に供されていた。
現在でも野菜として栽培品種が複数あり栽培され売り買いの対象になっているようです。

このナズナは麦の栽培と共に日本に伝来し文字の無い史前の帰化植物と考えられているそうです。北半球に広く分布しているそうです。

別称として、ぺんぺん草とも言います。
ぺんぺん草は野良や荒廃地にも生えるところから「ぺんぺん草も生えない」と称して荒廃した耕作不適な土地を言い表します。
アブラナ科のナズナ属の植物で、私が若い時分はアブラナ科を十字花科若しくは十字架植物と称していました。
十字花特有の四枚の花弁は十字架状に付くからです。

アブラナ科の野菜は沢山あり大根やかぶらや白菜、キャベツ、チンゲンサイなどなどの葉ものがそれです。
平成２３年３月２日撮影</description>
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		<dc:subject>四季・レジャー</dc:subject>
		<dc:publisher>山梨学院大学</dc:publisher>
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		<title>オオイヌノフグリ</title>
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		<description>瑠璃色で小さな宝石のようなオオイヌノフグリです。
明治初期にヨーロッパから帰化したと言われています。

このオオイヌノフグリとは別に在来種としてイヌノフグリがあります。
同じゴマノハグサ科の植物ですが前者は瑠璃色の花で直径８ミリほどであるのに対して後者は直径３ミリほどのピンクの薄い色です。

イヌノフグリとは犬の陰嚢の意味です。
可愛らしい花の植物に対してこんな名前を付けなくてもよさそうなものを。
今日、平成２３年３月３日の朝日新聞の天声人語にアホウドリに関する名前も人間の愚行こそ当てはまるものであり名前を変えたらどうだろうかと。
そして、植物ではへクソカズラ、オオイヌノフグリも酷な名前だとやんわりと紹介している。
明治時代、物流については既にグローバル化が進み、農作物などにくっ付いて沢山の雑草が入り込んで来た。オオイヌノフグリ、ホトケノザそしてセイヨウタンポポ、ハルジオンなどなど、すっかり日本の春の雑草として君臨しています。叉、レンゲソウも緑肥として有用植物として利用されて来たが江戸時代前期に原産地、中国から導入されましたが、１６９５年記述にはレンゲとはスイレンのことであり１７０９年の大和本草には子供のおもちゃとして叉馬の飼料としてレンゲソウとして初登場して書かれているそうな。緑肥について書かれた培養秘録１７８４年には書かれていない。１８２６年の農家肥培論に緑肥として書かれているのだそうだ。緑肥として全国的に広がるのは明治時代だそうです。
現在は化学肥料万能の時代となりやや影が薄いが、山梨県中央市のレンゲ祭りは日本の風物として溶け込んでしまっています。

写真２は左側の赤い花がホトケノザ、右側の瑠璃色の花がオオイヌノフグリです。

野良に出たらこの小さいけれども清らかな花をしばし見てやって欲しい。
宝石のようだ。３月２日撮影</description>
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		<title>ホトケノザ</title>
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		<description>ホトケノザが咲きました。
平成２３年３月２日撮影する。

春一番に畑や荒地に一番で咲く花にホトケノザとオオイヌフグリがあります。
ホトケノザはシソ科オドリコソウ属の植物です。花は小さいが実に綺麗な色をしています。
小さいが、どこにでもあるが為に、じっくり見られていない花の一つです。



この花とは別に春の七草でホトケノザがありますが、そのホトケノザはタビラコ（田平子）が正式の植物名です。キク科植物で黄色い花です。

図鑑などの記載ではシソ科のホトケノザはユーラシア大陸のアジア、ヨーロッパに広く分布し北アフリカにも。そしてアメリカにも帰化してあるそうです。

ほぼ全世界のどこにでも広く分布しているそうです。
しかし、日本では北海道にはないらしい。
即ち、亜寒帯や寒帯には存在しない植物なのだろうか？
私の偏見かもしれませんが早春に咲く野草は亜寒帯や寒帯が原産地だと思っていたのに。

こんな花をブログに載せても、どこにでもある花だから観光には結びつかない。そうかも知れない。
しかし、平凡で、どこにでもある野草かも知れませんが、季節を追ってじっくり眺め季節を楽しむ価値観は四季の移り変りの富士山を眺める心に通じるものと思いたい。着地型観光：それは地域に誇りを持ち、地域で楽しく有意義に暮らす地域社会の人の心に燈る熱い思いだと思う。</description>
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		<dc:subject>四季・レジャー</dc:subject>
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	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/020014002413.html">
		<title>和紙の原料三椏</title>
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		<description>西湖根場いやしの里に和紙の原料三椏とその加工品を発見しました。
紙屋逆手山房の館の外に植えられている三椏。そして皮剥ぎした皮。そして晒した繊維。

昔、この地区で本当に和紙を製造していたかどうかは知りません。
しかし、山村に皮剥ぎされた皮を見たら現実感がありました。
人間の営みを感じました。</description>
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		<dc:creator>山梨学院大学</dc:creator>
		<dc:subject>歴史文化産業</dc:subject>
		<dc:publisher>山梨学院大学</dc:publisher>
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		<title>西湖根場いやしの里の春</title>
		<link>http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/012344000545.html</link>
		<description>水車が回っています。
草むらに福寿草の咲きかけの花を見つけました。

少し離れた位置から根場村落全体を眺めてみました。
昭和４１年の災害で壊滅しましたが現在目の前に実存する村の造形はつい最近、観光用に造られたものです。

昭和９年でしたか、岡田紅陽氏が撮影した根場村落と富士山を本沢川上流の山側から撮影した白黒写真は本当にこんな村落があったんだと実感させられました。

今回のいやしの里訪問で岡田紅陽氏の写真（コピー）が観れたことでした。</description>
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		<dc:subject>四季・レジャー</dc:subject>
		<dc:publisher>山梨学院大学</dc:publisher>
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	<item rdf:about="http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/012250234340.html">
		<title>オトウは土間で藁打ち仕事</title>
		<link>http://yy-net.org/blog/02058/blog/archive/2011/03/012250234340.html</link>
		<description>♪オトウは土間で藁打ち仕事、御前もガンバレよ。♪
故郷の冬は寂しい　せめてラジオを聞かせたい。

窪田聡が作詞作曲した「母さんの歌」の歌詞の２番です。

作詞作曲した窪田聡は東京の下町生まれで戦時中に信州に疎開していたがそのころの思い出を１９５６年に作品として世に出した。
１９５６年は昭和３１年です。

私の昭和３１年は中学３年生で広島県呉市に居ました。
戦後の復興期から高度経済成長期に移行し始める時期でした。
昭和３１年の流行語は「もはや戦後ではない」でした。

西湖いやしの里、根場の水車小屋の近くに藁打ち仕事の道具が展示されていました。
その昔、農業従事者は昼間明るい時間は野良仕事。夜は夜なべ仕事。
そんな、百姓の家族の風景は一般的だっただろう。
藁を打つ道具は杵というのでしょうか。

私には経験のない時代の農村の家族を歌った戦後の復興期の歌です。

私は３９年に親元を張られて寮で寝起きする生活に入りました。１８歳でした。
この「母さんの歌」はそのころの寮生で合唱した定番の歌の一つでした。

１母さんは夜なべをして手袋編んでくれた　木枯らし吹いちゃ冷たかろうて
せっせと編んだだよ。
故郷の便りは届く　囲炉裏の匂いがした。

２母さんは麻糸紡ぐ一日紡ぐ　オトウは土間で藁打ち仕事、お前も頑張れよ。
故郷の冬は寂しい　せめてラジオを聴かせたい。

３母さんのアカギレ痛い生味噌すり込む　根雪も融けりゃもうすぐ春だで
畑もまってるぜよ。　
小川のせせらぎが聞こえる　懐かしさがしみとおる。


今年、私は７０歳になります。
貴方にとって昭和３１年はどんな時でしたか？

西湖根場　いやしの里で生活感の詰った藁打ち道具（杵）を見つけました。
持ち上げるとズシッ　と重かった。
　　　　</description>
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